おんぷ日記

合唱団で歌ったり、指揮をしたり、ピアノを弾いたりしています。

なぜ合唱してる?

ふと、思い出したので書く。

数年前の飲み会の席で

「なんで合唱やってる?」って聞かれた。

わたしは

「だれかと出会うのがたのしいから」って答えた。

そしたらその人

「自分は若い頃ずっと成績を出すためにやってた。最近は誰かと出会ったりするのがたのしいから続けてるって思ってる」

みたいなことを言ってて、

ああ、この人はいい出会いに恵まれてこなかった、かわいそう、って思ってしまった。

わたしは高校生のときからそれ知ってた。

わたしは恵まれてるなぁと思った。

 

 

 

西村英将さんのこと

RAMの西村さんが、亡くなったそうです。

とても、悲しい。

来月、日本公演だったのに。

 

ハンナでインタビューをしたとき、「来日公演まで体が持つかどうか」とおっしゃっていて、わたしは、これを掲載したくなくてカットしたら、

西村さんが事実だから載せてほしいとおっしゃって、

どうしよう、と迷い、「来日公演まで体が持つかどうかわかりませんが、それでもなんとか見届けたい」というコメントに加筆しました。

 

掲載しなかったら生きられた、とか、そんな話ではないんだけど、

来日公演目前で亡くなってしまうなんて。

悲しい。

 

なんでもう少しだけ待ってくれなかった?

神様の考えていることが分からない。

 

 

 

日本の合唱はお金がかかる、モナコ少年合唱団

今日は会社に上田絢香さんがいらしていろいろお話した。

印象に残ったのは日本はアマチュア合唱団でも高いホールを借りて、指揮者に高い謝礼を払って、団費を払って、と高いお金をかけて演奏会をする、って話。

たしかに、最近は多少高くてもいいから響きが良くて条件のいいホールでやりたいって思うことが多いなぁと思った。

 

タリンにはコンサートホールが一つとかしかないらしい。びっくり。ふだんコンサートをやるのは教会とかミュージアムとか。記念演奏会とかをするときにはホールを借りたりもするけど、文化庁とかから助成金とかがほとんど出るって。すごいなぁー。

 

日本でそういうことを実現するには…?

教会とかでコンサートがもっとできたらいいなぁとは思う。教会以外にもっと日本ならではの人が集う場所ってあるかなぁ。うーん。神社?お寺?うーん。学校とか?

そもそも、合唱や芸術文化が敷居の高いもの感は強いなぁと思う。コンサートホールとかでやるイメージが強いし、そっちでやった方が響きもいいし。

地域のコミュニティセンター的なものを借りるにもお金はかかるし。お金をかければかけるほど良いものができるみたいな意識が日本人は強いよなぁ。

 

響きに助けられないとまともな演奏ができない合唱レベルがだめなのだろうか!笑

でも実際、響きを使ってなんぼですよね合唱は。

 

チャリティーコンサートもあるし、ちょうどいいのでなんか考えよう…。

 

 

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モナコ少年合唱団の演奏会へ。

あんまりうまくない。

頭声の響きに頼りすぎると音がどんどん上ずるように思う。

あんまりうまくないかと思ったけども、ウェッバーのpie jesu、アルトソロの子がめちゃめちゃうまかった。すごい。ウィーン少年の中島くんよりうまかった。

少年合唱団によくある、ピアノを縦向きにして弾き語りながら合図をするあの形はなにのメリットがあるのだろう。ピアニストを一人雇うよりメリットがあるのかなぁ。一体感とかなんだろうか。

それと、もっとニコニコさせて歌ってもいいんではないかと思うんだけど、伝統とかなんだろうか。笑ったらすごく可愛いのになぁ。

 

ボーイソプラノっていうのは少しの期間しか出せない独特な声でとてもとても魅力的だけれども、少しでも間違った指導をすると残念な声になってしまうような気がした。

 

 

 

 

生ぬるい

Facebookとかツイッターとか、合唱の人たちの投稿を見ると、生ぬるいなぁとか思ってしまう。なんにもわくわくしないというか、そんなのなにがたのしいんだろう、とか…

うーん…すごく嫌な感じ…

もっと楽しいことわくわくすること、したいなぁ…

何様なんだろう、わたしは。

 

また人を見下しているって言われるんだろうか。

合唱続けてね、というせりふ

久しぶりに譜読みしたり調べ物したり、してみたのだけど、気持ちが悪くなってきてしまってとてもとても明日も練習に行けそうにない。
このまま合唱辞めてしまうんじゃないか、と不安になる。

そもそも、合唱辞めてしまうんじゃないか、ってなんなんだろう。
辞めちゃいけない、って決まりなんてないのに。


高校生や大学生に、大人になっても合唱続けてね、とか偉そうにとても正しいことを言っているかのように、話しかける大人は何様なんだろう、と思う。
続けるも辞めるもその人の自由じゃないか。



アマチュア合唱について思うこと

最近、ぼんやり考えていること。
わたしがやってる合唱って、ちょっとつまらないなぁ、って思っている…かなしいんだけど。

オペラを観て、すごいなぁーっておもしろいなーって思う。
プロの指揮者や歌手や、作曲家のひとたちの話をきいて、すごいなあーって思う。
新刊の本を読んで、イベントに参加して、あたらしい情報を得ると、わくわくして世界はひろいなぁと感動する。

ふと、自分に返ると、当たり前なのだけどいかにもアマチュア、な活動をしていて、通り一遍なふつうのことをしていて、ゆるゆると歌っているなぁ、と思い知らされる。

かといって、もっと上を目指そうとかもしてないし、もっと頑張ろう、ってもあんまり思わなくて…

うーん…
うーん。





『合唱のためのエチュード』導入書を読んで思ったこと

導入書の素晴らしさについては仕事で書いたのでぜひ読んでください。

個人的に考えさせられたことを書きます。
まずわたしはここ最近の成功体験もあって、感動する詩や共感できる内容のすばらしい曲を歌わせることによって、合唱を始めて間もない子たちや経験の少ない子たちに感動体験を与えさせるかつ、歌への意欲を高めさせることができると確信していました。
だから次の曲もそういう感情移入しやすくて、いわゆる「きれい」な曲がいいだろうと思っていました。

でも、これはいわゆる、ダメな小学校や中学校の音楽教師が考えることで、わたしもダメな指導者と同じだとハッとさせられてしまいました…。

松下先生が導入書の「はじめに」に書いてくださっているので、気になる人はぜひ読んでください。
合唱はもちろん歌詞があって言葉や詩の情景、メッセージを伝えるものでもあります。でも、それを使っていわゆる感動体験をさせるっていうのは、あれです、最近問題になってるけど1/2成人式で教師が子どもに言いたくもないセリフを言わせて親を感動させるっていうあれに似てるような、そんな偽物の感動というか、偽物じゃないけど、なんだろ無理矢理っていうか押し付ける感動?って感じ?

子どもたちが自発的に自ら感動体験をすることができる要素が合唱にはあるということをわたしは本当に導入書を読むまで忘れてたんじゃないかと思います…。なんて恥ずかしいんだろ。

つまり、合唱はきれいにハモること自体が感動体験なんです。でも、小学生とか、いや大学生なんか余計に、本当にきれいに純正調で美しくハモることって難しいじゃないですか。
まぁ、なんとなく近い音をだすことはできるけど、ビリビリするような純正調なんて鳴ったことない彼女たちに、それをやらせるのは途方もない仕事にしか思えなくて、つい押し付けの感動体験を与えて満足してしまっていた、わたしがもうどうしようもなく恥ずかしいです。

でも、実際同じ音を出すことすらままならない子もいるので本当に大変なんですけど…。

でも、感動的な詩を歌うことで得られる本当の感動もあると思うし、すばらしい指導者の先生もいるはずだからその曲自体を否定するわけではないです。

満足して、驕り高ぶっていた自分を反省しています。

ひとまず終わり。