おんぷ日記

合唱団で歌ったり、指揮をしたり、ピアノを弾いたりしています。

生ぬるい

Facebookとかツイッターとか、合唱の人たちの投稿を見ると、生ぬるいなぁとか思ってしまう。なんにもわくわくしないというか、そんなのなにがたのしいんだろう、とか…

うーん…すごく嫌な感じ…

もっと楽しいことわくわくすること、したいなぁ…

何様なんだろう、わたしは。

 

また人を見下しているって言われるんだろうか。

合唱続けてね、というせりふ

久しぶりに譜読みしたり調べ物したり、してみたのだけど、気持ちが悪くなってきてしまってとてもとても明日も練習に行けそうにない。
このまま合唱辞めてしまうんじゃないか、と不安になる。

そもそも、合唱辞めてしまうんじゃないか、ってなんなんだろう。
辞めちゃいけない、って決まりなんてないのに。


高校生や大学生に、大人になっても合唱続けてね、とか偉そうにとても正しいことを言っているかのように、話しかける大人は何様なんだろう、と思う。
続けるも辞めるもその人の自由じゃないか。



アマチュア合唱について思うこと

最近、ぼんやり考えていること。
わたしがやってる合唱って、ちょっとつまらないなぁ、って思っている…かなしいんだけど。

オペラを観て、すごいなぁーっておもしろいなーって思う。
プロの指揮者や歌手や、作曲家のひとたちの話をきいて、すごいなあーって思う。
新刊の本を読んで、イベントに参加して、あたらしい情報を得ると、わくわくして世界はひろいなぁと感動する。

ふと、自分に返ると、当たり前なのだけどいかにもアマチュア、な活動をしていて、通り一遍なふつうのことをしていて、ゆるゆると歌っているなぁ、と思い知らされる。

かといって、もっと上を目指そうとかもしてないし、もっと頑張ろう、ってもあんまり思わなくて…

うーん…
うーん。





『合唱のためのエチュード』導入書を読んで思ったこと

導入書の素晴らしさについては仕事で書いたのでぜひ読んでください。

個人的に考えさせられたことを書きます。
まずわたしはここ最近の成功体験もあって、感動する詩や共感できる内容のすばらしい曲を歌わせることによって、合唱を始めて間もない子たちや経験の少ない子たちに感動体験を与えさせるかつ、歌への意欲を高めさせることができると確信していました。
だから次の曲もそういう感情移入しやすくて、いわゆる「きれい」な曲がいいだろうと思っていました。

でも、これはいわゆる、ダメな小学校や中学校の音楽教師が考えることで、わたしもダメな指導者と同じだとハッとさせられてしまいました…。

松下先生が導入書の「はじめに」に書いてくださっているので、気になる人はぜひ読んでください。
合唱はもちろん歌詞があって言葉や詩の情景、メッセージを伝えるものでもあります。でも、それを使っていわゆる感動体験をさせるっていうのは、あれです、最近問題になってるけど1/2成人式で教師が子どもに言いたくもないセリフを言わせて親を感動させるっていうあれに似てるような、そんな偽物の感動というか、偽物じゃないけど、なんだろ無理矢理っていうか押し付ける感動?って感じ?

子どもたちが自発的に自ら感動体験をすることができる要素が合唱にはあるということをわたしは本当に導入書を読むまで忘れてたんじゃないかと思います…。なんて恥ずかしいんだろ。

つまり、合唱はきれいにハモること自体が感動体験なんです。でも、小学生とか、いや大学生なんか余計に、本当にきれいに純正調で美しくハモることって難しいじゃないですか。
まぁ、なんとなく近い音をだすことはできるけど、ビリビリするような純正調なんて鳴ったことない彼女たちに、それをやらせるのは途方もない仕事にしか思えなくて、つい押し付けの感動体験を与えて満足してしまっていた、わたしがもうどうしようもなく恥ずかしいです。

でも、実際同じ音を出すことすらままならない子もいるので本当に大変なんですけど…。

でも、感動的な詩を歌うことで得られる本当の感動もあると思うし、すばらしい指導者の先生もいるはずだからその曲自体を否定するわけではないです。

満足して、驕り高ぶっていた自分を反省しています。

ひとまず終わり。



選挙、不来方東京公演、咳喘息

ふたたび咳喘息に。

げほげほ。

自分が言い出しっぺの東京公演、目標満席!なんていって1300席のホール、、、途中でむりじゃね、って思ってたんですけども、今日集計してたら残席400席で満席も夢じゃないかもって感じなのに、肝心のわたしはげほげほで歌えない上にステージで咳我慢するのもいまのままだと厳しいんじゃって感じです…。

 

そして明後日選挙なのですが。

こんなに選挙に興味を持っているのは生まれて初めてです。29歳。

昨日はあきばに枝野さんの演説を聞きに行きました。途中からだったけど。いままでもツイキャスとかで演説をきいてて、なぜか涙でてきちゃったりするときもあって。なんでだろう?って思っていました。昨日実際に生で聞いて、また涙してしまいました。

「国民の政治離れ、と言われているけれど、そうじゃない。政治が国民から離れてしまっている」

これにとても共感し、涙がでてしまいました。

帰ってから、立憲民主党ツイッターみてたらそのせりふを書いたツイートがものすごく桁違いにリツイートされてて、びっくりした。

政治は難しい、と思っていました。演説を聞いてもうるさいなとしか思わないことが多かったし、少し聞いてみたいと思って配ってるチラシをもらったこともあるけどそれだけだったし立ち止まって聞いてみようなんて思ったことなかったし。

でも今回枝野さんが合唱やってたっていうからちょっと興味持って…。

枝野さんの演説内容をツイキャスでみてみたら、すごく話がわかりやすいし声が聞き取りやすくて、わからない単語とか言葉を知りたくなって調べてみたり。

福島に行ってくれたり、仙台まで行ってくれたり、うれしかったからたくさんみて、アキバにも行ってみたけど、やっぱり実際に聞くとすごくよかったし、勉強になったし。

雨で寒いし、げほげほだし、早く帰って休みたいフラフラだったけど行ってよかったです。枝野さんのあとの海江田さんの話は「人」の漢字の話してたり、びしょびしょだから早めに切り上げます、とか「アベノミクス」を「アベノミスク」って言い間違ったりとか、、、なんだか声もお上品でなくて、(まぁそれはそれでいいんだけど笑)枝野さんが演説うまくて魅力あって話がまとまってるんだなって実感しました。

選挙楽しみだなー。

咳がやばいのでおわります。

くるしい。なんか出てくる。このなんか出てきそうになるのなんなんだろう…

喧嘩ふたたび

またです。
喧嘩するたびにブログにつけているのですが頻度が高すぎて笑えます。

喧嘩の理由はもうどうでもいいですが、
わたしはかなり冷めています。
まだ一緒にやりたい、という気持ちはほとんどありません。

あちらのことがむかつくというか、許せないとかではなく、もうなんだかどうでもよくなっていて、
わたしは自分のことしか考えていないけれど、
このまま続けていても不毛なのでは、と思う。

お互い気にくわないことばかり、相手を嫌な気持ちにさせ、困らせ、うんざりさせる。お互い自覚がない、譲らない、謝らない。
なぜ一緒にやるのか。
それはただ、長年一緒にやってきたという情しかなく、長年付き合ったカップルがなんとなくそのまま続いているのと同じだ。
別に対して好きでもないのにただ付き合いが長いし、今更別れるのも、そんなのと一緒だ。

そんなの未来はない。
どうせまた嫌な思いをするだけだ。

謝られたってきっとまた同じことをされて、わーわーわたしは喚き、うんざりされる。同じだ。DV男といっしょだ。

ただの情なんて捨ててしまえ。
きっぱり切らないといけない。
そうだ。
ずるずるしてるとまたなぁなぁになるぞ。
いまやめるしかない。





性格ではなくテクニックで会話するということ

週末に群青のトークイベントに参加したのですが、小田先生がわたしにとってとても興味深いお話をされていました。
震災の後、生徒のためのカウンセリング技術の講座などをたくさん受けたそうです。そういったテクニックを使って生徒と会話をすることが多く、たまに生徒との会話の中で「自分の性格で会話しているのではなく、テクニックで会話をしているように感じるときがある」という話をされていました。

わたしは結構頻繁に同じような思いを抱きながら人と会話をすることが多くて、自分の本心や自分の本当の性格で会話をしている人、というのがかなり少ないなと思っています。ただ、テクニックを使って会話しているのも決して不本意ではなく嫌ではなくてそれはそれでわたしなんです。
でも、テクニックなんて気にせず本心で話をできる相手と一緒にいるときはとても気が楽なのは確かです。

こういうのって誰でもあることなのだろうか。
もちろん仕事の付き合いでは何も気にせず会話できる人というのは少ないのは当たり前だと思うのですが、わたしの場合プライベートでも趣味の場面でもそういったことがほぼ大半にあります。